2011/03/18 3.11、あれから一週間 [雑記]
ほんと、危なく閉じこめられる状況だった。
ぐらっときて、グラグラッと揺れたその時、出先で、エレベーターの中でした。
まぁ、とりあえず目的階で無事、降りることができたが。
しかしその後も激しい揺れは続き...。
多分、今までの経験値最大の地震、のはず。
関東大震災、という言葉がふと頭をよぎる。
この日、埼玉県某所での打合せ、それも10分ほどで済むはずだったのだが。
お得意さま・Y先生の事務所でテレビのニュース見てたら、そんな簡単な話ではなくなり。
結局電車も動かず、夜10時過ぎまでお邪魔してたが、まさかそのままというわけにもいかぬので。
「とりあえず金町あたりまで行って、バスに乗ります」と言ってみたものの。
果たして走ってるかどうか、も定かではない。
そのうち地下鉄の一部が走り始めた、というニュース。
「まぁ、送れるとこまで送りましょうか」というお得意さまのお言葉に甘えて、クルマで送って貰うことにした。
6号にでたものの、都心への車線は大渋滞。
しかも横の歩道、歩いて帰宅する方々の列、列、列、です。
横道へ、横道へと逸れつつ、それでも都心方面を目指し、結局大きく迂回して京葉道路・一之江付近に出た。
ま、結局、自宅まで送ってもらってしまった訳ですが....。
途中、主要道路の郊外へと向かう車線はどこも大渋滞。
自宅到着、何と12時過ぎでしたが。
しかし、送っていただいたお得意さま、無論、帰らなきゃならん訳で。
が、あの渋滞状況みると、ほんと「スミマセン」だが。
...後日、伺ってみると「家戻るのに、8時間、かかった」と仰有ってました。
今さらですが、「先生、本当にありがとうございました!」です。
最後になんですが、
「この震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、いまだ厳しい毎日を送る被災地の方々に心からお見舞い申し上げます。」
何でラーメン?ですよね?
当日夜「腹減ってちゃ、仕事もすすまん」と、お得意さまの先生にご馳走していただいた。
店はかなり混んでて、カップルやら家族連れやら、サラリーマンやら、地震?何それ?的雰囲気で賑やか。
それは、ついさっきまでテレビニュースで見てた光景とはあまりに隔たりがあり。
「これ、デジャブでは?」とまで思えた。
この時点でもまだ余震さめやらず。
「ことによるとこれが最後の食事かも。」
と思った、というのは嘘ですが。
でも、そう思っても不思議ではない状況でした、あの日は。
タグ:東日本大震災
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